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ジャグリング × 映像・パフォーマンスユニット「ラプソディア」主宰 生方洋佑 ロング・インタビュー

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ジャグリングと映像表現を掛け合わせたパフォーマンスユニット「ラプソディア」を主宰するジャグリング・アーティスト生方洋佑(うぶかたようすけ)氏の独占インタビュー。

第68回IJAジャグリング世界選手権 個人総合部門 準優勝、エクストリームジャグリング・ディアボロ部門 優勝と言う輝かしいタイトルを持つ生方氏。彼にジャグリングを始めたきっかけから、コロナ禍による影響まで、様々な事について語ってもらった。


ジャグリングとは

サーカスや大道芸で目にした事がある人も多いと思われるジャグリング。お正月やお祝いの場で披露される、日本の太神楽の傘などを使った曲芸も、一種のジャグリングと言えるだろう。

その歴史は古く、紀元前2000年頃の古代エジプトの王墓の壁画には、女性らしき人物が複数の球を空中に投げ上げている様子が描かれていると言う。

さらに、紀元前1000年頃のヒッタイトや中国の殷朝、紀元前500年頃のギリシャにも記録が残っているとの事。

欧米では、19世紀頃から劇場でジャグリングのパフォーマンスが行われるようになり、次第に文化として認知されるようになっていった。

日本には、奈良時代に中国から伝わったと考えられており、日本の伝承遊びであるお手玉も、ジャグリングの一種と考えられている。(Wikipediaより https://bit.ly/3hfPsKi)

そんなジャグリングの世界大会で準優勝を獲得。あの世界的なサーカス「シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil)」とも仕事をした事があるジャグリング・アーティスト。それが、今回インタビューを紹介する生方洋佑氏だ。

生方洋佑 プロフィール

ジャグリング・ラプソディア創設者にて現役代表。

大学入学時にジャグリングと出会う。練習を始めてわずか4年という短期間で、70年の歴史をもつ International Jugglers’ Association が主催するジャグリング世界選手権において銀メダルを獲得。歴代2人目となる記録を樹立した。

その後プロとして活動しながら、国内および海外で公演。観客の目を引きつけて離さない独創的で高度な演目を展開、次々と繰り出される迫力に満ちた技は、常に感動と刺激を与えている。

  • 2015年・第68回 IJA(International Jugglers’ Association)ジャグリング世界選手権 個人総合部門:準優勝
  • 2015年・第68回IJAジャグリング世界選手権 エクストリームジャグリング・ディアボロ部門:優勝
  • 東京都公認 ヘブンアーティスト 登録パフォーマー

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生方氏は、ディアボロと言う空中で回転させるタイプのコマを使ってパフォーマンスをする。

お椀を2個つなげたようなコマであるディアボロは、2本のハンドスティックに通した糸でまわすことにより安定させ、操る。空中独楽、輪鼓、中国ゴマなと呼ばれているものも、同じしくみのものである。(Wikipediaより https://bit.ly/3nTcRDW )

生方洋佑 インタビュー

プロフィールでも紹介した様に、生方氏は、大学に入学してから練習を始め、わずか4年という短期間で、IJA(International Jugglers’ Association)ジャグリング世界選手権 個人総合部門で準優勝、エクストリームジャグリング・ディアボロ部門で優勝を果たしている。

そんな生方氏に、ジャグリングを始めたきっかけ、彼にとってのジャグリングの魅力、主宰する「ラプソディア」とは、そしてコロナ禍で人前でパフォーマンス出来ない現在について等、語ってもらった。

ニュージーランドで知ったジャグリング

◆そもそもジャグリングを興味を持ったきっかけは何だったんでしょうか?
実はジャグリングそのものを知ったのは、中学生の時なんです。

私は、10歳から17歳くらいまでニュージーランドのオークランドに、親と一緒だったり、留学だったりして在住していたんですが、現地校に通っていたんですね。

で、現地校の体育の授業にジャグリングがあったんですよ。普通に野球とかサッカーみたいに、ジャグリングの授業があって、そこで初めてモノを投げたり、操ったりする事を体験して、純粋に楽しいなと。

ディアボロも、初めてその時に知って、一番惹かれた事は確かなんですけど、単純に授業の中でやってて楽しいくらいで、その時は極めるとか、そう言う感じではなかったんです。

一応、日本に帰って来る時にディアボロは持ち帰ったんですが、全然忘れてたんです。で、大学に入ったら全くの偶然にも、1つ上の先輩にジャグリングの世界チャンピオンの方が居たんです。

その方はディアボロで世界大会ジュニア部門に参加して、優勝されていたんですが、彼のパフォーマンスを見て「こんなに奥深いモノなのか…」って感動を受けたんです。

ただのプラスティックとハンドスティックが、なんでこんな魔法みたいに動いてるんだって、今でもよく覚えてるんですけど、すごく感動して。

自分がおもちゃとしか思っていなかったものが、こんなになるんだって、固定観念が覆されたんですね。それで自分のディアボロを引っ張り出して練習し始めたんです。

元々は空手のプロを目指していた

◆元々スポーツは好きだったり、していたりしたんですか?
はい、やってました… 実は空手のプロになろうと思って、16歳の時にニュージーランドの高校を中退したんですよ。

ニュージーランドで空手を教わっていた師匠に、めちゃくちゃ憧れてて、その人の元で働きたい、その人に認められたい、超えたいって気持ちが大きくて、全部捨ててアスリートの様にトレーニングとかして、空手のみに集中した生活を送っていた時期もありました。

でも完全な挫折で終わっちゃうんですけどね。

師匠からは「内弟子にならないか?」ってお話も頂いたんですよ。でも、たまたまその時、日本に2~3週間くらい一時帰国をしていて、それじゃニュージーランドに戻ったらって話になっていたんですけど、無茶しちゃったんですね。

空手って膝を屈伸させる運動が結構多いんですよ。だから身体が硬いと膝に凄く負担がかかるんです。

私は元々 身体が硬くて、以前から膝に違和感を感じていて、師匠にも注意しろとは言われてたんですけど、一時帰国で、日本で自分1人で練習していて、いい気になってたんでしょうね。両膝の調子が徐々に徐々に悪くなってきて…

それでも自主練を止めなかったんですよ。逆にさらに無茶をしてしまったと言うか。今でも勢いで、がむしゃらにやっちゃう傾向はあるんですけど、その時は、痛みに耐えて練習を続ける自分に酔ってたんでしょうね。

今なら、引き際が肝心とか、ストレッチをキチンとやる事が大事とか、わかるんですけど、そう言うのが全部見えなくなってしまったんです。

自分独りでも大丈夫とか、自分の力だけでなんとかできるとか過剰に思い込んで。他の同世代の子たちは学生をやってる中で、自分は自分の道を自分自身で切り開いてるんだとか思いあがって、自分は特別だみたいに図に乗って。

英語も話せたんで、さらにそれに拍車がかかって、優越感に浸ったり、他人を見下したり、ホント、大勘違いなんですが。

その結果、16歳後半~17歳にかけてくらいかな?膝だけじゃなく、心の均衡まで崩してしまったんです。

挫折から再び

そんな最悪でグジャグジャな状況を経て、結局、日本で大学に入ったんですが、その時は「学問とか、人とのつながりとか一度捨ててしまったけど、取り戻して、ちゃんと勉強して、英語とか生かした仕事に就けたらいいな」って感じに思ってたんですよ。

でも心の中には「もう一度スポットライトを浴びたい、注目を集めたい、人々に拍手をもらいたい、舞台に立ちたい」って想いもくすぶってたんです。完全な片想いなんですけど。

一方で「挫折したし、空手でやってける自信も無いな」って言う弱腰で、自信を無くしていた自分も居て。

そんな時に先輩のジャグリングを見て、全く違うジャンルだったけど「やっぱり、もう1回舞台に立ちたいな」って言う、どうしようもない強い衝動が芽生えて、もう1回コレでかけてみたいって気持ちがドンドン自分の中で強くなったんです。

◆元々目立ちたいとか、注目を集めたいって言う気持ちは強かったんですか?

私自身は、元々人見知りなんですけど、ニュージーランドに最初に行った1年~1年半くらいにかけて、いじめにあったんです。

ニュージーランドってラグビーが盛んで、みんな身体も大きいんですよ。昼休みとかになると、男子はラグビーボール掴んで、タックルしあってって、身体自慢してといった感じで。

そう言う社会の中で、小学校4年生まではスポーツもやってない、英語も上手くない、身体の小さな私が入ってくのって無理と言うか、どうにもならなくって。

その時に凄く悔しい想いをして、肉体的に強くなりたいって、強く思ったんです。だから空手に執着したし、それが人に認めてもらいたいと言うか、注目を集めたいって言う気持ちに繋がっていったんだと思います。

自分は「コレだ」と言うモノが欲しかった

◆ニュージーランドでの辛い経験が、注目を集めたり、認められたいと言う気持ちに繋がっていったんですかね?

そうですね、「お前ナニが出来るんだ?」って聞かれた時に、「俺、コレが出来るよ」って言えるものが欲しかったんです。

世界中、誰に聞かれても堂々と「俺はコレが出来る」って言えるナニかが欲しかったんですよ。

自分の祖国=セーフティーゾーンじゃない場所に、いきなり放り出されて、そこで見向きもされない自分を守る為に、振り向いてもらう為に、ナニかを持たなきゃって気持ちが強く芽生えたんだと思います。

異文化での経験が世界での活躍に

◆ニュージーランドと言う異文化で育った経験は、現在の活動に生きていますか?

そうですね、ジャグリングを急速に身に着けたって言うのも、そう言う「ナニかを持たなきゃ」って強い気持ちがあったからでしょうし、海外での活動では、もちろん英語が話せるのもありますが、異文化でのアピールの仕方を知っているのは強みになってると思います。

◆ところで、ジャグリングの技術はどうやって身につけたんですか?世界チャンピオンの先輩に教わったんでしょうか?

先輩はプレーヤーですし、結構お忙しくされていたので、特に教わってはいないです。私が一方的に憧れてただけで。

ジャグリングって、実は結構独学な世界なんですよ。だからYouTubeとかで人の演技をスロー再生して覚えたりとか、大学にもジャグリングのサークルとかも無かったので、仲間がいない中で1人で1日8時間くらい練習しまくってました。その結果、授業は必要最低ラインしかとってませんでしたけど(笑)

でも、その必死に練習した理由って、結局今までお話した事が全て積み重なって、さらに「今度は失敗出来ない」って気持ちも強くあったから、のめりこんで、没頭しまくったんでしょうね。

それが、結果、つまりジャグリング世界選手権 個人総合部門の準優勝に繋がったんだと思います。

IJA ジャグリング世界選手権 準優勝 の後

◆2015年に、カナダで開催された第68回 IJAジャグリング世界選手権 個人総合部門で準優勝を果たされますが、その後はどんな風に活動されたんでしょうか?

実は、この準優勝を果たした後に、また落ち込むんですよ(苦笑)空手で挫折した時ほどじゃないんですけど。

世界選手権で準優勝になったのに、全然 私の生活は変わらないし、何も変わらないじゃんって言う状況になって。

これがメジャージャンルのスポーツとかで、世界タイトルを取ったんだとしたら、売り込みなんかしなくても、色々なお話が来ると思うんですが、全く何も変わらないし、何も来なかった(苦笑)

正直「世界タイトルをとったら私のところにも多少、何かお話が来たり、取材とかされたりするかな?」と思ってたんですけど、全然、まったくなくて(笑)

なんなら、私から営業をかけても話を蹴られる事もあって、大学でも「生方くん準優勝」みたな横断幕とか出るかな?とか思ってたのに、何もなくて、本当に悔しい思いをしたんですね。

で、結局、これはジャグリングがマイナージャンルだからだって結論に行きついて、それなら自分がプロになって、ジャグリングをメジャージャンルにして、称賛を受ける様な存在にしないと、こんな素晴らしいモノなのにおかしいと言う想いが芽生えたんです。

それで、2016年に大学を卒業してから、様々な場所でパフォーマンスをしたり、大学で講演をしたりする様になったんです。

シルク・ドゥ・ソレイユとの出会い

◆シルク・ドゥ・ソレイユでもお仕事をされた事があるんですよね?

実は、2015年にカナダでタイトルを取った時に、シルク・ドゥ・ソレイユのスカウト的な方々が大会にいらっしゃっていて、声をかけてもらったんですよ。

2015年のIJAジャグリング世界選手権の上位3人って、実は私も含めて全員日本人で(笑)それで、スカウトの人に声をかけてもらったんですが、私は英語が話せたし、他国の人とのやり取りも慣れているんで、スグに親密になれたんです。

練習環境とか、働く時の条件とか、色々聞いたり、自分はニュージーランドに住んでたから、海外も慣れてるんだとか話したりして(笑)

その時のコミュニケーションが生きて、日本に戻ってからもソーシャルメディアを通じて、色々とやり取りをしてたんです。

それで、2018年にシルク・ドゥ・ソレイユの方から正式にオファーを頂いたんですが、それが「Cirque du Soleil at Sea 」って言う、9か月間 豪華客船の中でパフォーマンスをすると言う内容だったんです。

でも、ちょうどその時、別のプロジェクトを立ち上げたばかりで、何もなかったら「喜んで行きます!」って感じだったんですが、さすがにその時はタイミングが悪すぎてお断りしたんです。

それでも、2019年には短い期間、2~3週間って言う期間のショーケースで、カナダとかアメリカで、一時的に参加したりはしました。

※シルク・ドゥ・ソレイユは、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大の影響により経営状況が悪化し、2020年6月企業債権者調整法の適用をカナダ・ケベック最高裁判所に申請して、事実上経営破綻し、会社更生を目指すこととなった。https://www.cirquedusoleil.com/

ジャグリング×映像・パフォーマンスユニット「ラプソディア」

◆シルク・ドゥ・ソレイユのオファーを断った時のプロジェクトと言うのは?

シルク・ドゥ・ソレイユからは、2度ほど「Cirque du Soleil at Sea」のオファーを頂いたんですが、2回とも私が主宰するジャグリング×映像・パフォーマンスユニット「ラプソディア」のクラウドファンディング・プロジェクトをやってた時だったんです。

クラウドファンディングなので、支援をしてくれた方々にキチンとリターンをしなければならないし、「ラプソディア」の活動内容もちょうど定まって、これからこのスタイルで自分たちの活動を知ってもらうぞ!と意気込んでいた時期だったので、シルクからのオファーはお断りしました。

もちろん「ラプソディア」を一時中断して、シルクに行く事も出来たんですが、私としては「ラプソディア」で、色々自分でやってみて、失敗とか、上手くいかない事も経験して、それからシルクに行った方が、学びも多いかなと思い、そう言う判断…と言うか、選択をしました。

ジャグリング×映像表現
パフォーマンスユニット
「ラプソディア」
 

アメリカで開催されるジャグリング世界大会や、全国大会で結果を残したメンバーで構成されたパフォーマー集団。

ジャグリングを駆使したパフォーマンスを中心に、様々なスタイルの公演を全国的に展開。

またライブでは見ることのできない表現や演出を追求した 独自のプロモーション映像製作にも力を入れている。

LEDを駆使したユニークなナイト・パフォーマンスや、日本伝統芸能を意識した公演は見る者の目を引き付けて離さない。

◆ラプソディアはどういった経緯でメンバーが決まったんですか?

ラプソディアは、元をたどっていくと、大学の時の仲間なんです。私が大学で大会出場の為に広場で練習していたら、何をやってるんだろうと言う感じで集まってきた仲間が、今に繋がっています。

◆映像制作技術は、いつ習得したのですか?

私が在籍していた大学は、慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパスだったんですが、映像系に強い学部もあって、凄く良い機材を学生証1枚で借りられたんです。

当時まだ珍しかったドローンとか、撮影スタジオもキャンパス内にあったので、仲間たちとの練習の様子を撮影したら、面白いんじゃないか?と思ったのがきっかけです。

それにIJAジャグリング世界選手権の予選って映像審査なんで、撮影しなきゃならないって言うのもありましたし、大学で気軽に良い機材が借りれるのであればと、ジャグリングの練習を撮影する事を始めたんです。

この時の経験から、これからの時代は映像が大事になるなって思っていて。卒業してプロになった時、ジャグリングを多くの人に知ってもらう為には、映像を使って届けるしかないだろうと「ジャグリング×映像制作」と言う、今の活動のベースの形が出来ました。

ラプソディアの最新映像は以下YouTubeチャンネルで御覧頂けます。
https://www.youtube.com/channel/UC-thl4zLl2CoHO2UlbPym8w/

コロナ禍の中で

◆この新型コロナウイルス感染拡大によって、映像制作は別としても、パフォーマンス活動はだいぶ制限されたと思うのですが、どの様に過ごされていますか?また、このコロナ禍について、どんな考えをお持ちですか?

まず、この状況には大変驚きました。世界史とか、歴史を見ると数十年とか数百年に1回ある事とは言え、それを実際に体験する事になるとは思ってもみませんでしたし、仕事も増えていた時期だったんで、その場が奪われる事に、悔しさも覚えました。

でも逆に「これは変化しなきゃいけないって事なのかな?」とも思いました。

これはニュージーランドでの経験が生きましたね。誰も自分を守ってくれない、自分の事は自分で守るしかないって事は理解しているし、そう言う嗅覚は鋭くなっているので、今回も変わらなきゃいけないんだって言う風に意識をスグに切り替えました。

それで、私は身体動かすのが好きなので、じっとしているのが苦手なんですが、この状況をポジティブに捉えて、自己研鑽系の本とかメンタルの事とか、食生活とか身体の事とか、読書をしまくりました。

だからそう言う意味では、今回の事はチャレンジなんだと思って、楽しむ様にしたし、その結果、あまりストレスにはなりませんでした。

◆不安は感じませんでしたか?

パフォーマンスをする場が奪われるって言う意味では、やりたい事が色々あるのにな…って言う想いはありました。

でも、パフォーマンスが出来ないからと言って、それで自分の価値を下げたら絶対にダメだって言うのは、過去の経験から学んでいたので、「映像も作れるし、英語だって出来るし、それ以外にも学んできた事があるだろう」と、自分で自分を受け入れる方向にもっていったので、大きく不安は感じていません、というか感じない様に持っていっています。

◆コロナ禍はまだ続いていますし、終わりもまだまだ見えないのですが、これからの世界を、生方さんはどの様に過ごしていきたいと思っていますか?
新型コロナウイルスが蔓延した事によって、人の前でパフォーマンスしたり、人が集まったりと言う事は難しくなってしまいましたが、逆に言えばオンラインとかで、映像を見る機会は増えたと思うので、それならば映像を極めて、もっともっと良い作品を作ったら観てもらうチャンスもあるのかなと思っています。

だからパフォーマンスの鍛錬も大事だけど、映像の精度も上げてく必要があるなって思っていて、それは毎月、毎月、その割合と言うか、どこを強化すべきかとか、そう言う事を考えて過ごしています。

今後については、まだまだ見通しもなかなかつかないのですが、いずれにしても、コロナだからとか、自分はパフォーマーだからとか、そう言う風に決めつけたり、固定観念にとらわれるのでは無く、その時、その時にやるべきことをやると言うか、何をやるべきなのかを考えて、状況や、感情、自分の勘に従って、身軽に、色々とやりたいなと思っています。

2020年12月 生方氏は29歳になった。
その時に撮影された写真。
Photo by ののみち
撮影場所:スタジオブリエ

インタビューを終えて

オンラインで行った今回のインタビューは、実はこの倍、いや3倍くらい話してもらっている。

生方氏の生い立ちや、経験してきた事、挫折、成功、色々な事について伺い、語ってもらったのだが、それらすべての事が折り重なり、積み重なって、今のジャグリングや映像制作、そして「ラプソディア」の活動があるのだなと、強く感じたインタビューだった。

異文化の中で育ったことにより、強く意識せざるを得なかった「自分とは何か?何が出来るのか?何がしたいのか?」これが生方氏の活動を支える背骨であり、強みでもある。

彼がコレから何をするのか、楽しみで仕方がない。

最新映像

2020年9月に実施したクラウドファンディングにより制作されたプロモーションビデオ。パフォーマーは、ラプソディアのメンバーでもある エイトリング・アーティスト/ パフォーマーの PESTRiCA

PESTRiCAのクラウドファンディング・プロジェクトは、目標金額に対して370%の達成率で、11月1日に終了した。なお、本プロモーションビデオのロング・バージョンは、2020年12月31日公開を予定している。

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おにぎり1号・Tomoko Davies-Tanaka
Onigiri Media メイン・ライター おにぎり1号こと Tomoko Davies-Tanaka (Team Little-Big) は、フリーランスPRエージェント。海外⇔国内、英語⇔日本語業務を中心に、スモールビジネスのPR業務のサポート他、コーディネーションやブッキングも行っています。 インタビュー記事 https://ledgeweb.com/740/