終末系ボカロP 与命0401(よめいおしまい)が、2021年9月2日新曲「DITTO TEWO MIRU」をデジタルリリースする。本楽曲は9月下旬にリリースを予定しているアルバムの先行第2弾となる。
与命0401
プロフィール
与命0401(よめいおしまい)
終末系ボカロP。2013年よりボカロP活動を開始。
処女作「小さな幽霊と大きな幽霊」には、初期のハチ(米津玄師)を聞いているようだ、というコメントがつく。
終末感漂う巨大な世界観をもとに、渋谷系、新宿系などの系統を借り、終末系ボカロPと名乗る。
アンダーグラウンドボーカロイド文化において、今や外すことのできない存在として、異質な空気を放っている。
- Twitter @yomei8400
https://twitter.com/yomei8400 - YouTube
https://www.youtube.com/user/0401yomei - ニコニコ動画チャンネル
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「DITTO TEWO MIRU」
9月2日デジタルリリース
2021年9月2日(木)デジタルリリースする「DITTO TEWO MIRU」 は、9月下旬にリリースを予定しているアルバムの先行第2弾。
与命0401
リリース情報
- タイトル
DITTO TEWO MIRU - アーティスト
与命0401 - リリース日
2021年9月2日 - リリース形態
デジタル配信 - レーベル
LUCY LOVE records - 配信リンク
https://linkco.re/HRUFVxTS
「DITTO TEWO MIRU」
セルフライナーノーツ
我々人類は考える生き物である。
どうして空は青いのか、どうして人は生きるのか、死んだらどこに向かうのか、などという巨大な仕組みについて延々と理由を探し続ける生き物である。
誰しも一度は考えたことがあるのではないだろうか、そういった、くだらない答えの出ない謎やどでかい悩みについて、考えを少しでも巡らせたことがあるのではないだろうか。
考える生き物たる我々人類に許された場所というのがある。それこそ、悟りの境地というものだ。
すべての謎への答えを自然と手に入れ、それを受け容れ、完全なる穏やかな場所への到達。そこまでを導いてくれるのが、このDITTO TEWO MIRUという曲だ。悟りの境地への道はそうそう容易いわけではなく、非常に過酷な意識の混濁、理由の喪失、永遠に続くような辛苦を味わうこととなる。
でも考えてほしい、それは世の中を生きようとする私たちと何ら変わらなく、悟りの境地へはもう既に皆向かっているということなのだ。悟りとは大袈裟なものではない。
誰もが手に入れられる聖域の話なのだ。そしてその苦しみに真っ向から考えを巡らせる。
はたらけど はたらけど
わがくらし らくにならざり
ぢっとてをみる じっとめでみる
手のひらを眺めてみれば、たくさんのシワの中に、細胞がうごめいており、それはすべて自分を形作る宇宙だ。
たとえ世の中の生きづらさから逃避して手のひらを眺めてみようとも、宇宙はそこにあり、ありのままの自分を受け容れてくれるのだ。右手には生、善、希望、左手には死、悪、絶望、その両極を宿して考えたとしたらば、その手を合わせることで、生と死が、善と悪が、希望と絶望が、一つに合わさるのだ。
この時に人は気づく。私という宇宙の中に、両極は隔たりを超えて一つとなる。それを宇宙が私を受け容れるがごとく、すべての両極を私が受け入れたらば、それは私も宇宙となれるということ。
そこにようやく、悟りの境地の門があらわれ、ひらかれるのだ。このスケールの大きすぎる巨大な内容を一度読んだところで、さぞチンプンカンプンなことだろうと思う。この曲のイメージを再現するのに、与命0401ひとりでできることではなかった。
そのため、アシオリカというボカロPに協力を仰いだのだ。彼の音像が明らかに、この曲の道を舗装し、素晴らしいものへと昇華してくれた。
作曲の現場も楽しく、ゲラゲラ笑いながら、たまにうーんと唸りながら、この曲が完成する頃には二人で幸せなため息をついて、完成への感動を味わえた。アシオリカに万感の思いで握手をしたいと思っている。この曲には、伏線や音によるアプローチを、大量に散りばめており、それ一つ一つを汲み取ることは本当に容易ではない、すさまじく難しい音楽に仕上がってしまったことは、この場で謝っておきたい。
しかしこれは、悟りの境地への案内音楽、と定義している。普通にイヤホンから聞きながら、通勤のお供に、はたまた散歩中のBGMに、勉強中の作業用音楽に、ぜひ使ってほしい。あなたが悟りの境地に到達してくれることを祈っている。
与命0401