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田中泯の踊りに密着した映画『名付けようのない踊り』 犬童一心監督が活弁シネマ倶楽部で語る同作の魅力

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世界中のアーティストと数々のコラボレーションを実現し、そのダンス公演は現在までに3千回を超える田中泯。近年 映像作品への出演でも知られる彼の踊りに密着した映画『名付けようのない踊り』の犬童一心監督が、映画を語る配信番組「活弁シネマ倶楽部」に初登場。「ドキュメンタリーを撮るという気持ちはないのかも」と犬童監督が話す同作について、番組MCが映画評論家の森直人が切り込む。


映画『名付けようのない踊り』

映画『名付けようのない踊り』は、表現者・田中泯の存在に迫ったドキュメンタリー。

近年は「俳優」として広く認知されている田中泯。しかし彼の表現活動の根底にあるのは常に「ダンス」だ。

1966年からソロでのダンス活動を開始し、1978年にパリ秋芸術祭で海外デビュー。これをきっかけとして、世界中のアーティストと数々のコラボレーションを実現。彼のダンスの公演歴は、現在までに3千回を超えている。

2002年には映画『たそがれ清兵衛』に初出演。その後、映画だけではなくテレビも含めた数々映像作品にも出演。現在放映中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも、奥州の覇者 藤原秀衝役で出演する。

『名付けようのない踊り』概要

1978年にパリデビューを果たし、世界中のアーティストと数々のコラボレーションを実現し、そのダンス歴は現在までに3千回を超える田中泯

映画『たそがれ清兵衛』(02)から始まった映像作品への出演も、ハリウッドからアジアまで広がっている。

40歳の時、田中泯は「畑仕事によって自らの身体を作り、その身体で踊る」ことを決めた。そして74歳、ポルトガルはサンタクルスの街角で踊り、「幸せだ」と語る姿はどんな時代にあっても好きな事を極め、心のままに生きる素晴らしさを気付かせてくれる。

そんな独自の存在であり続ける田中泯のダンスを、『メゾン・ド・ヒミコ』への出演をきっかけに親交を重ねてきた犬童一心監督が、ポルトガル、パリ、山梨、福島などを巡りながら撮影。

また、『頭山』でアカデミー賞短編アニメーション部門に日本人で初めてノミネートされた山村浩二によるアニメーションによって、田中泯のこども時代が情感豊かに点描され、ぶれない生き方が紐解かれてく―。

どのジャンルにも属さない田中泯の〈場踊り〉を、息がかかるほど間近に感じながら、次第に多幸感に包まれる―― そんな一本の稀有な映画を、ぜひスクリーンで体験してほしい。

2022年1月28日より全国ロードショー。

映画Website
https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/
Twitter @unnameabledance
https://twitter.com/unnameabledance

田中 泯
プロフィール

1945年生まれ。66年クラシックバレエとアメリカンモダンダンスを10年間学び、74年より独自の舞踊活動を開始。

78年にパリ秋芸術祭『間―日本の時空間』展(ルーブル装飾美術館)で海外デビューを飾る。

以降、独自の踊りのあり方「場踊り」を追求しながら、「カラダの可能性」「ダンスの可能性」にまつわる様々な企画を実施。ダンスのキャリアを重ねる一方で、57歳の頃『たそがれ清兵衛』でスクリーンデビューし、以降映画への出演多数。

Website
http://www.min-tanaka.com/
Twitter @MadadaDance
https://twitter.com/MadadaDance

監督/脚本
犬童一心

1960年生まれ。高校時代より自主映画の監督・製作を始める。

大学卒業後は、CM演出家として数々の広告賞を受賞。1997年『二人が喋ってる。』で長編映画監督デビュー。『眉山 -びざん-』(07)、『ゼロの焦点』(09)、『のぼうの城』(12)で、日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞する。

主な監督作は、『ジョゼと虎と魚たち』(03)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)、『グーグーだって猫である』(08)、『猫は抱くもの』(18)、『引っ越し大名!』(19)、『最高の人生の見つけ方』(19)など。

Twitter @inudoisshin
https://twitter.com/inudoisshin

他 出演
制作スタッフ

映画Website
https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/
Twitter @unnameabledance
https://twitter.com/unnameabledance

映画『名付けようのない踊り』
at 活弁シネマ倶楽部

映画『名付けようのない踊り』 は、『メゾン・ド・ヒミコ』への出演オファーを機に親交を重ねてきた犬童監督が、2017年8月から2019年11月まで、国内外を巡りながら田中の踊りに密着したもの。

2022年2月6日公開された活弁シネマ倶楽部では、ダンサーとしての田中泯や、俳優としての田中泯だけでなく、田中泯という存在そのものにも肉薄。その魅力を語り尽くしている。

制作の裏側や、他の映画の現場での田中に関する裏話、犬童監督の「ドキュメンタリーを撮るという気持ちはないのかもしれないですね」という発言も興味深い。

トークは、犬童監督が田中との出会いを振り返るところからスタート。

泯さんを『メゾン・ド・ヒミコ』にキャスティングするときに、ダンサーだということを知らないでキャスティングしたんです。

それでご一緒した際、演技の質感のようなものが他の方々とまったく違うので、魅入っちゃうんですよね。そこで、ダンスをやられていることを知りました。それから、彼のダンスを観に行くようになりました。

さらに犬童監督は続ける。自身が脚本家として参加した映画『黄泉がえり』がアカデミー賞に選ばれ、授賞式に参加した際に田中と初めて会ったのだという。

田中との初対面時の印象と、彼に惹かれた理由を以下の様に語っている。

にぎやかな会場の中で、1人だけ異質な方がいて。思わず目が留まっちゃうんですよね。

その周囲には日本を代表する俳優の方々がいましたが、全然目に入らないんです。質の問題です。

ちょうどこのとき、『メゾン・ド・ヒミコ』のキャスティングを進めていました。探していた役には、上手い俳優を求めていたわけではありません。それだとアンサンブルになってしまうので、とにかく異質な存在感を持つ方を探していたんです。

アカデミー賞授賞式の会場内とはいえ、見たことがなかったので、最初は伝説的なプロデューサーの方かと思いました。そしたらそこで、彼の名前が呼ばれたんですよね。『たそがれ清兵衛』の出演者として。

これに番組MCの森は「それ、すごく面白いですね。『たそがれ清兵衛』は観ていたんですよね。なのに、一致しなかったんですね」と、田中の持つ特異な存在感について、それぞれが持つ印象を語り合う。

こうして犬童監督は、田中泯という存在、そして彼のダンスの世界に魅せられていったようだ。

「本作の制作のはじまりは、泯さんからポルトガルへの同行の誘いがあったことからなんですよね?」と森が口にすると、ダンサー・田中泯にカメラを向けるに至った経緯について犬童監督は、

ただポルトガルに一緒に行くお誘いをいただいただけなので、観光ですね。

ヴェンダースの『ことの次第』の舞台がポルトガルの海岸線で、行ってみたいなと思ったんです。それで渡航の日が近づいてきて、泯さんに詳細を聞くと、『アートフェスティバルでも踊るけど、“場踊り”もする』と言うんです。

フェスティバル中に好きな場所で、勝手に踊ると。これは撮らないともったいないなと思ったんです。

ただ僕は泯さんの踊りをずっと観てきて、泯さん本人もそうなんですが、『簡単に撮ってもダメ』ということを分かっていました。

例えば手頃なカメラで撮るのではダメだということ。ちゃんと映像の質も確かな機材を用意して、対象をきちんと撮れる人間と組まないと、結局は使い物にならない。

だから機材をちゃんと用意して、カメラマンらと向かいました。

と、この映画の完全なるスタート時のことを振り返っている。

活弁シネマ倶楽部Website
https://katsuben-cinema.com/
Twitter @katsuben_cinema
https://twitter.com/katsuben_cinema

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おにぎり1号・Tomoko Davies-Tanaka
Onigiri Media メイン・ライター おにぎり1号こと Tomoko Davies-Tanaka (Team Little-Big) は、フリーランスPRエージェント。海外⇔国内、英語⇔日本語業務を中心に、スモールビジネスのPR業務のサポート他、コーディネーションやブッキングも行っています。 インタビュー記事 https://ledgeweb.com/740/